無駄な深読み

ついったーに書ききれないことを書く、かも知れない

私とμ'sとAqours

先日、2020年1月18, 19日に行われたラブライブフェスに行ってきた。

 

私はμ'sの映画があっていた頃にラブライブのアニメを見て、そのまま映画を見に行った。そこからリアルのμ'sの存在を知り、ファイナルライブにもディレイビューイングながらも参加した。PHYCHIC FIREで盛り上がり、no brand girlsで全力でコールを叫び、僕たちはひとつの光で涙した。

その後はAqoursにハマり、かれこれ4年近く彼女たちを見てきた私だが、ラブライブフェスが開催され、またμ'sが帰ってくると聞くや否や参戦を決意したのは当然の理であった。ファイナルライブの時に私を熱狂させたμ'sと、現在進行形で大好きで何度ライブに行っても感動をくれるAqours、その時にはよく知らなかったが、2組に憧れてスクールアイドルになった虹学の3グループによるライブが素晴らしいものにならないはずがない。私は信じて疑わなかった。

 

そんな期待の中迎えたフェス初日、私は盛り上がりはするものの、いつものAqoursのライブや、直近の虹ヶ咲のライブでも感じたような体の底から湧き上がるような感動を感じることは出来なかった。

初日は完全見切れ席で生で見たわけではないのでそこまで感動しなかったのだろうと自分に言い聞かせて臨んだ2日目、席は4階席の正面側。期待むなしく、感じた想いは初日とほとんど変わらなかった。こんなに大勢の人を熱狂させるμ's凄いなあと、どこかテレビのニュースを見ているような感想を抱く自分がいた。自分がその熱の一部になれると思っていた私は1人取り残されたような感覚に襲われた。

 

 

フェスが終わってもモヤモヤとしていた私だが、Twitterでとある呟きを見てハッとした。誰のツイートだったかも覚えていないが、おおよそ次のような内容だった。

 

「そらまるがファイナルの後にまたμ'sで活動するために頑張っていたことを知ってるから、会場をじっと見つめてる姿を見ただけでグッときた」

 

私はμ'sのことを何も知らなかったのだ。

 

もちろんアニメは全話見たし映画も見た。μ'sの曲は殆ど知ってるし、キャストもコーレスも知ってる。

 

だがそれだけだ。

 

私が知っていたのは、あくまでアニメのμ'sだったのだ。

新田恵海さん率いる現実のμ'sが、グループ結成当時からどんな思いで歩んできて、どのような思いでファイナルを迎え、そしてどのような気持ちで今このフェスに臨んでいるか、私は知らないのだ。

 

 

私は本来、声優に興味はなかった。アニメは好きだったがそれはあくまで物語が好きなのであり、別に本だろうと漫画だろうとドラマだろうと、心を揺さぶる物語なら媒体はなんでもよかった。

それが何故μ'sのファイナルで涙し、Aqoursを追っているかというと、彼女たちに物語を感じたからである。

 

ライブビューイングを見に行ったAqoursの1stライブ、「想いよひとつになれ」のピアノが緊張のあまり弾けずに泣き崩れる逢田さんに駆け寄るメンバーを見た。伝説のグループμ'sの後釜としての1stライブで、今までやったことがなかったピアノを弾く重圧に耐えきれなくなったのであろう逢田さんと同じ苦しさを痛いほど共有しているチームメイト。私の中では、それまではあくまでアニメのAqoursと同じ歌とダンスをする声優グループでしかなかった現実のAqoursが、アニメとは違うもう1つの物語を紡いでいることを実感した瞬間だった。それから私は、アニメの曲を再現するAqoursではなく、逆境に抗おうとする現実のAqoursを応援するようになった。

 

思えばファイナルライブの時は、行ったことがなかったライブの空気に圧倒され、好きなラブライブの曲が聴けるだけで嬉しかった。でもその時見ていたのはアニメのμ'sだけで、現実のμ'sは見えていなかった。それが理解できるようになったのは、アニメの中でμ'sを追いかけ、輝くことと向き合ったAqoursと、偉大なμ'sの後継として巨大な重圧を受けながらもそれらを全て自らの力に変えてきた現実のAqours、合計18人のライブを何度も見てきたからである。

 

私がAqoursに物語を感じるように、μ'sに物語を感じる人たちもたくさんいて、もちろん虹学もそうだろう。今回のフェスでμ'sの物語を感じることが出来なかったのは残念ではあるが、それ以上に私が何故Aqoursを応援しているのかを改めて認識できたことが嬉しく思えた。