無駄な深読み

ついったーに書ききれないことを書く、かも知れない

映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を鑑賞して。

 どうも、グゥです。

 映画『こんな夜更けにバナナかよ』を見たので感想を綴ろうと思います。これから映画でも漫画でもアニメでも何か作品に触れたら簡単にでも記録残していこうかな。

 

 まずこのタイトルについてなんですが、絶対コメディじゃん。軽く見て笑うか!って思いました。開始1分で認識が違っていたことに気づかされました。この物語は筋ジストロフィーの鹿野という男とその周囲の人たちの話です。めちゃくちゃ重かったです。

 

 

 筋ジストロフィーとは徐々に筋肉が動かなくなっていく病気で、あの御坂美琴がDNAを提供するきっかけになった病気です。

 

 鹿野は、病院で管理される生活ではなく、自宅で生活することを望みます。しかしもちろん、一人で生活することは叶わないため、多くのボランティアにお世話をされながら暮らしています。物語序盤では、鹿野はボランティアに対し傍若無人な振る舞いをし、まるで王様のような生活をしています。夜遅くまでボランティアを振り回して急にバナナを買ってこいと言い出す鹿野に、見てる人は思うわけです。「こんな夜更けにバナナかよ」と。

 

 そんな鹿野の元に新たにやってきたボランティアのミサキは「あなたのボランティアはあなたに嫌々付き合っているだけ。すぐにいなくなる」と言い放ちます。鹿野のめちゃくちゃな振る舞いを見た私はその通り!と共感するわけです。でも、傍若無人な態度は変わらないのに、物語が進むにつれてだんだんと鹿野の生き方に魅せられていきました。

 

 

 

 長々と書くかはないので感じたことを端的に。

 

 この作品から感じたことは『期限』の大切さです。制限、と言い換えてもいいかもしれません。20歳まで生きられないと子供の頃に診断され、どんどんできることが減っていった鹿野は、少なくとも私よりは『期限』も『制限』もあります。私が呑気に毎日を過ごしているのと対照的に、鹿野は日々できることを必死にやって生きているように描かれます。

 

 やっぱり何か期限や制限があった方が人はやる気が出る、というのは一つの心理なのでしょう。短く儚い命は輝いて見えます。

 

 何が言いたいのかわからなくなってきたのでそろそろ筆を置きます。

 書き始めたのが思いつきなら、書き終わりも思いつきです。

 

 それでは。